神話のじだい2012/11/19 15:02


愛知県半田市富士ヶ丘1-1
いまおれがたつこのばしょは
はたしてそこにまちがいないのか
いちじくのきがない
まつのはやしがない
ススキのはらっぱがない
ため池がない
つゆくさも
あじさいもない
うしごやも
とりごやもない
フジのほえるこえも
ミーコのぴんとたったしっぽもない
にわのさんりんしゃも
こやにかけたタモもない
それでも
このばしょにまちがいないのか

「おなじばしょなど
 ありようがないさ
 この銀河系にしてからが
 静止しているものなど
 ひとつとしてそんざいしない
 じかんとともに
 くうかんもまたうつりかわる
 それがうちゅうのことわりだ」

たしかにそうだ。
まして、いまとなっては
愛知県半田市富士ヶ丘1-1
などという住所は
そんざいしないのだし
あたりのようすも
すっかりかわりはてた。
だが
だ、
それでも
ここにちがいない
と、おれはおもう。

おれはおぼえている。

うまれてはじめて
ははおやに
はなの名を問うた
つゆくさ。
すずやかな
ぎんのかんむりをいただく
あさつゆの妖精のすがた

ひとりかえる
あめのみち
めにとびこんできた
にじいろの眩惑
5才のおれは
ぼうぜんと
たちすくんだ
ぬれそぼる
あじさいが
ささやきかける
まほうのことば

はなれたきしから
いきをころし
しのびよる。
まいにち
幼稚園のかえりみち
むねにこみあげる
あついものをおさえながら
みつめていた
うつくしい群れ
おれは
おもいをばくはつさせ
はしる
うつくしい群れへむかい
そして
しゃにむにかきいだく。
まきおこる叫喚と
こんらんのうずのなか
頬にかんじた
わたげのぬくもりと
みずしぶきのつめたさと

重機にけずりとられた
あかつちのおか
おやじとさんぽする
ごがつのあさ
このうちゅうについて
おやじがはなしている
ふたりしてみあげる
あおいそらに
ぽっかりうかんだ
のこんの月

もりのおくに
うずくまっていたものは
だいじゃの
たまごをだくすがた
その
まがまがしい
めのひかり

うちおとされた
ことり
おもくたれた
まぶたと
まっかにさけた
はらと

すべては
このばしょにきざまれたきおく
それは
神話のじだいのできごと
ばしょが
ときをはらんでいる
ときが
ばしょをはらんでいる
ときとばしょとが
未分化な
いまだちつじょさだまらぬせかい
ぷくぷくと
芽だつ意味が
ふきだしてははじける
マグマのじだいのできごと

あれからいくたび
あじさいをみたことか
あれからいくあさ
そらに月をさがしたろう
あれからいくつ
ほしいものをてにいれたろう
あれからどれだけ
おそろしいものにであったか
けれど
あのころのきおくだけは
ほかとまぎれることのない
とくべつなきおく
いや、
きおくの枷からさえじゆうに
ときもばしょもこえて
いまもそのままに
いきつづける神話なんだ。

愛知県半田市富士ヶ丘1-1
おれはいまもそこにたちつづける
さめてかたまった
地殻のようにみえるふうけいの
じめんいちまいしたには
かわらずマグマが
おとをたててにえたぎっている
そしてときにかたい地平をひきさき
血のようなどろをふきあげるのだ
あしたやってくる
神話のじだいのために。