はんぶんだけの地図 -青木唯剛くんへー2011/06/07 23:58

 タアくん、あれはぼくらがまだ小学生だったころのことだ。暑い暑い夏の昼さがり、野球帽のへりがながれだした汗でぬるぬるしていたね。それでもぼくらは汗をぬぐうのもわすれて、いっしんに穴をほっていた。もちよった宝ものを、例の場所に埋めるために。
 裏山のなかほど、火災をおこしたようにあかあかと映える、いっぽんの百日紅があった。その燃えさかるひさしをくぐりぬけ、けものみちのような脇みちをしばらく入ったところに、草と木の枝で編んだ、ぼくらの秘密基地はあった。こどものころのぼくらは、学校がえり、それこそ毎日のようにかよったものだった。きみとぼくはあるとき、こどもらしい思いつきから、宝ものをどこか秘密の場所に埋め、十年後にまた掘りだしに来ようという話になった。十年という時間は、ぼくらにとって、海をわたるにも等しい、想像をこえた冒険のようにおもわれたから。
 秘密の宝とくれば、宝の地図が欠かせない。ぼくらはさっそく地図づくりにとりかかった。世界の中心には、あの百日紅。そして、ぼくらの秘密基地。雑魚とりに夢中になった小川と丸木橋。カブトムシやクワガタをつかまえに勇んででかけたクヌギの林や、あまい実をわんさと実らす桑畑。昼でも暗い八幡様の森。雷魚の棲む沼。駄菓子屋。織物工場。廃墟となったタイル工場。レンゲの田んぼや菜の花畑。ぼくらの世界を彩るたくさんの場所を、つぎつぎと描きこんでいった。そして最後に、ぼくらは、宝をかくすのにふさわしい場所を決めた。
 タアくん、あのとき二枚に裂いてわけあった地図の、片っぽうは、いまでもぼくの机のひきだしのおくに眠ってるよ。百日紅の炎が、闇のなかでまだかろうじてくすぶっているはずだ。あれからもう四十年がすぎようとしている。裏山にはあたらしい住宅がたちならび、百日紅もいつしか見えなくなった。小川は護岸工事がほどこされ、丸木橋はりっぱな鉄の橋にとってかわられた。田んぼも畑も、造成地へとすがたをかえた。なにもかもがかわったよ。
 そして、きみが逝った。
 タアくん、おれたち、宝もの掘りだすの、すっかりわすれてたね。おれの地図のうえのしるしと、きみの地図のうえのしるしとを、つきあわせてみないことには宝のありかはわからないときてる。いまとなっては、あのときいったいふたりが何を埋めたのかさえ、おれには思いだせない。けれどこのごろになって、なんだかとてもたいせつなものだった気がしている。
 丸木橋がなくなっても、レンゲの田んぼがなくなっても、百日紅がなくなっても、秘密基地がなくなっても、タアくん、おれ、とまどわなかったよ。だって、そんなもの、おれたちの地図のうえに、とっくに移しておいたもの。ふたつに裂かれていようと、いつでもきみに会いさえすれば、おれたちの地図はたちまちにして世界のうえに、その全きけしきを顕現させるはずさ。いや、かおをあわせなくたって、きみがどこかに存在する、それだけで、世界はいきいきと担保される。丸木橋のした清流はほとばしり、田んぼに花は咲きみだれ、八幡様の森はぬばたまの闇と静寂に満たされる。水晶のような、よろこびや、おそれや、かなしみや、いとおしみやの、さまざまの情念が、雪解けのように胸をながれだす。ふたりの宝ものだって、おのずから地を割って、そのかがやきを地上にあらわすにちがいないのだから。
 けれどタアくん、おれ、うかつだった。きみの死を、みじんも想像できなかった。十年後という時間をうたがわなかったように、きみの存在を一度もうたがったことなかった。こんどこそほんとうに、地図は断ち裂かれた。コンパスは方角を見失い、ぐるぐるまわりつづけている。おれの地図のうえの百日紅も、あっというまに色あせた。
 タアくん、いまきみはどうしてるの? あの小川で魚をおいかけてるの? 菜の花畑を蝶とかけまわっているの? タイル工場でコバルト色のタイルをひろっているの? タアくん、おれたちの宝のありかは、どうやら永遠の謎になってしまったらしい。けど、いまになって、わかったことがある。たとえ、どこになにを埋めようと、そこに埋まっているのは、あの日のおれたち自身だってこと。そして、あの宝ものよりも、ずっとずっとたいせつなものが、謎のまんま、こどものころの日々の、そこらじゅうに散らばっているということ。うつくしいものも、醜悪なものも。
 赤つちのみち、明け方のこる月、露草、紫陽花、矢車草。夕立、稲妻のにおい、水たまり、川面のきらめき。凍える日の夕焼け、くさってゆく猫の死骸、頬にしみる擦り傷や、むねのおくのうずきさえもが、池のおもてにひらいた睡蓮、かけがえのない謎。そのことが、いまはよくわかる。
 タアくん、おれ、はんぶんになった地図をポケットにいれて、また宝さがしにでかけようとおもう。地図のやぶれめから、ときどきスースー、つめたいすきま風がふきこんでくる。そのたびにせつなくなるけど、そんなときは、きみの笑顔をおもいだすことにするよ。そんなに遠くじゃない、すぐそばに、きみがいる気がするから。
 だから、さよならはいわない。

天神さまのほそみち2011/06/08 23:39

天神さままいりをうつした
いろあせたいちまいの写真のなかから
じっとこちらをみつめる
ひとりのこども。
かれはやがて
このおれになるのかもしれないが
おれにはならないのかもしれない。


ちかごろよくおもいだす
こどものころのこと。
ますだせんせいの
おこったまっかなかお
タアくんの
くちびるをかみしめて
なみだをこらえてるかお
ミッチの
こばなをひくつかせる
ふくれっつら
サトくんのおどけたえがお。
とおくのグランドのさざめきが
しおさいのようにきこえてくる
ひっそりとしずまりかえったごごの
ろうかをいちじんのかぜがふきぬけてゆく
まんかいのこうていのさくら
おちばするポプラのなみき。


きおくのこみちをすみずみまでたどりかえし
どれほどまぢかにけしきをよみがえらせても
あの日とは
やっぱりなにかがちがう
いや、すべてがちがう…
そりゃそうだ、
おれ、もうこどもじゃないもんな…
こどもはからだもたましいも
いつだってすりきずだらけ
あきのかぜが
ひりひりとひざっこぞうにしみたっけ。
ひりひりとせかいはうつくしく
ひりひりとせかいはざんこくで
ひりひりとかなしく
いとおしく
こどくだった。
きずをさすりながら、わらった
きずをなめながら、ないた。
それが、あるとき
まるで魔法からさめたように
きづけばふうけいは一変していた。
まいにちのようにたんけんした森のみちは
案内看板のうえでいっぽんの線になった。


天神さまのほそみちは
こどもからおとなへの一方通行
かえりのないみち。
写真のなかからこちらをみつめる
このこどもが
たとえおれだとしても
ふたりがふたたびまじわるみちはない。
だからこそ
これほどまでに
あの日々がまぶしいのだ。

ぽっかり2011/06/12 13:56

おさないころ
日曜になれば
母が朝食のしたくをするひま
父がぼくの手をひき
おもてへさんぽにでるのがならいだった。

なつのある朝のこと
いつものようにさんぽにでたふたりが
丘のうえまできたとき
ふいに父があしをとめた。
みると
父は   
そらにまだのこる
まるい月をじっとながめていた。
あたりは造成地で  
そこらじゅう
あかつちがむきだしになっていた。

凪にわいたかぜのように  
父はいった
「地球って、どこだ?」
とうとつな問に
ぼくはとまどっていた。

「ここだ…」    
そらをみあげたまま
父はそういうと   
サンダルばきのあしで
ドスン

じめんをふみならした。    
そのとき
いっしゅん       
ぼくのなかで大地がゆれた。  
そうして
じめんがまるで      
アルマジロ
のようにまるまって
ぼくや父をのせたまま
またたくまに
はるかな宙へと
すいあげられた。

うちゅうのかたすみ 
ぽっかり
うかぶ 
ふたつの球体。

となりから
はにかみながら
月が
こっちをみていた。